昭和57年1月3日 朝の御理解
x 御理解93節 「氏子は神の守をして居る者を神と心得て参詣する守が留守なら参詣した氏子は今日は御留守ぢゃと言はうが神の前をあけて置く事は出来ぬ万事に行届いた信心をせよ常平生心に裃を着けて居れ人には上下があるが神には上下がない人間は皆同じやうに神の氏子ぢゃによって見下したりきたながったりしてはならぬぞ」
神の前立として金光大神のお手代わりをする教師に対する御理解だと思いますが。結局は教祖様の御信心を神習う事であり二代金光様が教祖の神様そのままに後をお継ぎになられて十年。そして三代金光様がそれこそ年端もいかれぬ十三歳のお年から七十年間と言う長い間をそれこそ生神教祖金光大神の御信心をそのままに受け継がれたかのようにしてお取次を下さいました。
それこそ初めの間はもう辛うて辛うてよう泣いたと仰せられます。親様が座っとれば楽ぢゃと仰せられたから泣く泣く辛抱しいしい座っておりましたら、思う事もなくなり欲しいものもなくなり、只有難うて有難うて御礼の足りないお詫びばかりをいたしております、とこれは三代金光様が七十歳位でおありになった頃の御述懐のお言葉ですね。
只座っとれば楽ぢゃと、兎に角それは十三歳の御子様にしては大変な修行であっただろうとこう。けれども泣く泣くでもそこを辛抱し抜いていかれたと言う事であります。私共お取次に来られて使うて頂きます者もやはり、そう言う御信心を出来るなら神乍らに、神習わせて頂くと言う事なのでございますけれども。
なかなかもってその、それこそ真似も出けませんのですけれども。せめてせめてここだけはと思いますから。真似事のような信心をさせて頂いております。けれども、これが徹しられる時にやはり、教祖金光大神二代様、三代様の御信心にこうつながるもの、交流するものが生まれて来たからこそ今日の合楽の御比礼があると思うんですよね。 私は毎朝控えに三代金光様のお写真がお祭りしてございますからね。日々私共はもうまのあたりに三代金光様を拝んでおりましたからね。存じあげておりますので、いわゆる金光様の御神勤ぶりと言うものを神習わせて頂こう、真似だけでも真似でもさせて頂こうと思うてまあ今日までおかげを頂いてまいりましたね。
ですから、あれもこれもとは出来ませんけども、これだけはと言うものに徹してまいりましたら、今日合楽でこのような道が開けてきた。真似だけでもそこに徹すると言う事は結局、私は三代金光様に傾倒しておるから出来るのですよね。言うならば帰依しておるから出来るのですね。それが私の信心ともなってこれだけは、これに徹していこうと言うならば間違いのない所に。言うならば徹して来た事が今日、私はおかげを受けておる、合楽で受けておるその根本になっておると言うふうに思うんです。
はじめの間に兎に角、私の話を聞いて皆さんが助かって下さる。ところがこちらは道の取次者とか教師になろうとか全然思ってないもんですから、まあなかなかそのまあいろんな取次者の真似のような事をしては周囲にもはばかれる、ところもあったからではありますけれども、御結界もなからなければ、只お参りをしてくる方に一緒に御祈念をそう言うふうな一人一人御祈念をしてました。
で御祈念をさしてもろうて神様から頂いたお知らせをもとにして、お話をさして頂くと言うだけでした。だから御広前の、椛目の頃には、御結界があった所の前に応接台をこう置いて、そしてむこう向いて座っとりました。こんなして横向いてぢゃない、取次者ぢゃない、応接台の前に座ってそして参ってくる人達にお話を聞かせておったんですね。
その時分に神様が『お前におる所が御結界ぞ』と神様は仰っしゃった。もうどこにおっても私がおる所が御結界だとこう仰っしゃったね。ですから寝ておってもふんならあの寝床の中が言うならば御結界である。
夜夜中お参りをしてくるような方がある。そすともう私は二階に寝んでましたけど下におりてこないです。二階に上がって来て下さい…もう寝ながら神様が色々とお知らせ下さいますから、寝ながらお伝えをする。もう寝床、そこが御結界であり、私がそこでお話をしてさしあげる事はもうお取次だと教えて下さったんですね。
ですからこちらはもう言うならまあ迂闊にその取次に従事させて頂く事になったわけです。そんなに簡単に浴衣がけでおる時には浴衣。軍服を着ておる時にはあの昔のね、軍人さんが着る服なんか着てありました。所がある時に、これは主人の形見でございます。一遍も手を抜いておりませんからと言うて銘仙の着物の上下のお供えを頂いたんです。
そしたら神様がそれを着て御神前に御祈念をお届けせろと。そうしておるうちにこの袴をね。袴ぢゃないけれども前掛けです。それをこうひだを取ってこうすると丁度袴をはいたような感じの前掛けを頂いたんです。だからその前掛けをはめてこう座っとると袴をはいたように見えるように。
ある夏のさなかでしたが白足袋のお供えを頂きました。そしたら今度はその白足袋をはけと神様が教えて下さった。だから私が年中足袋をはいておるのはね。寒いからとか冷たいからはくんぢゃないです。もう夏の真最中でしたから、私が足袋をね。みんなは冷たいから足袋をはくと。又金光様の先生方は皆足袋をはきませんですね。普通はやっぱ修行と言う事でございましょう。
ですから、私の足袋をはくと言うのは言うならば、言うなら夏に真夏にはくのですから、やっぱり修行でした。以来足袋をもうそれこそ日本一の名人が作ったと言う東京の有名な足袋屋さんの足袋は毎年沢山お供えを頂きますからね。もう以来三十何年でしょうかね。足袋をはきづくめであります。
私が金光様の先生もなかっに袴をはじめからはいたり足袋をはいたりすると私が心にひっかかるもんですからね。そして今度はある時に向うの方で使っております、右の方の御結界のあの衝立とこの机がお供えが来ました。勿論それぞれ別でした。
今あそこで使っておる机は上滝さんが亡くなられて一周年の時の一周忌のまあ言うならば記念と言うか偲び草にあの机は頂いたもんです。はいあの衝立は田主丸のむつやさんがある御本部参拝の時に注文しておられて送ってきたのがあの衝立です。もう自分で御結界を作ろうとか座ろうとか羽織をつけようとか袴をつけようとかと言う事はありませんでした。
そうせねばならないようにしてなってきたんです。その頃から段々私が思う様に、折角このようにしてなら御結界でもね。普通の教会は右ですけれども。やっぱ神様の私の心の気がねからこう左にま他にも理由はありましたけども左に合楽の御結界が決まりました。 そしてここで座ねばなりませんからはじめてなら、折角座らせて頂くなら三代様のいわゆる金光様の真似方だけでもさせて頂こうと言うのが今日の合楽のはじまりなんですよ。御結界ひとつでもお取次の模様でも、ならこの服装ひとつでもそうですね。
そして折角真似させて頂くならば、もう間違いのないね。そりゃ形だけではありましょうけれどもね。間違いのない所を一つ真似させて頂こうと言う気になりましたね。いわゆる四時の御祈念をさせて頂こうと為にはね。四時の御祈念にギリギリ出て来たんではいかんから三十分間は心をしずめて御神前に出らせて頂くのですからね。ゆとりをもって奉仕させて勤めさせて頂こうと言う気になりました。 おかげで一日も欠かす事なしにおかげを頂いて四時の御祈念をさして頂き続けております。これは三代金光様の言うなら真似からはじまった事なんですね。人間ですから色々と失敗もございますけれども。今日は私はいつも三時前に起きてさせて頂くのに、幹三郎が出て来て、親先生もう時間すぎておりますと言うてやって来ました。もう三時二十分あるのです。
そしてこりゃ親先生、時計が反対になっておりますよ。四角の時計をこうこなんか反対に置いとるわけです。反対に見よるもんぢゃからいつまっでんね。そんな失敗もありますけれども、ほんならもうそれこそ十分間であの顔洗うて御神前で御礼をして、そしてやっぱ三時半にここへ出らせて頂きました。
そう言う失敗もありますけれども、こちらの一心とか一念とか言うものを神様は受けて下さって、なら幹三郎を通して起こして下さったと言う事になります。こちらが一心に貫こうとすると貫かせて下さるです。あれもこれもとは出けませんけれども、そりゃ本当真似事ですけれどもね。
それを貫こうとするその一心発起と言う事は、なら私が三代金光様への傾倒しいわゆる帰依申し上げたからこそ出来る事です。ここで色々私の真似をしておかげを受けた人がありますね。
昨日も年賀状を見せて頂いておりましたら、瀬戸美喜雄と言うあの教学所の所長をなさっておられまして、ここにもお話に見えました。またその後、ここに御参拝にもなさった事がありますが、今あの教学研究所の所長をおやめになって自分のお教会に帰っておられる模様です。その年賀状がまいりました中にペン書で書き添えてございます。誰がちょっと読んでみてくれない。
「日々お手厚いお祈りを蒙りまして謹んで厚く御礼申し上げます。真似事でもいい、先生の神様を私も頂かせて頂きたいと願わされております。本年も何卒宜しくお導き下さいませ。瀬戸美喜雄」
これだけの事ですけれども皆さん何か感じられるでしょう。真似事でもいいと書いておられます。親先生が頂いておられる神様を私も頂きたい。為にはその真似事でもいい。私はね、こう言う心がけで、ならこれは私にたった二回しかお会いしとらんのです。
けれども傾倒なさった所からこれはただ社交辞令的なもんぢゃなかろように思うのです。私が毎日瀬戸美喜雄先生の御縁が出来た以来、私はずーっとお届帳に瀬戸美喜雄先生のお取次をあのお届帳に乗せてそして御祈念をさしてもらうのです。
誰か私がこげんして御祈念しよると言う事は先生に伝えた人があるぢゃろかと。丁度今、渕上先生が来とりますから、そんな事はないですけれども、兎に角以来おかげの泉、合楽のいろいろなものを私から差し上げておりますだけで、親先生がここに毎日日々深いお祈りを頂いておると言う事が書いてありますから、私がお願いしてる事を知っておられるのに、誰が話したかと思うとったけども、何とはなしに私が瀬戸美喜雄先生に感じた事。瀬戸美喜雄先生が合楽に見えるたんびに私の信心を感じられた。私の頂いておる神様を頂きたい。為には真似事でもいいとこう言っておりますね。なかなかその通りの事は出けはしませんけども真似事でもさせて頂いておりますと。
これが金光様がお感じになった心ではなかろうかと時々でも感じれれるようになり、言うならば私の4時の御祈念と言うものは、もう終生真似事ではない。私のものに段々なってくると確信しております。いい加減にしてはならぬ。いわゆる私の信心の中味になってしまうね。真似事でもいいね。
ですからもう絶対のところをひとつ真似事でもいいからせなきゃいけません。稲数と言う所の高山さんと言う方がおられました。この人もなかなか私に傾倒なさった方ですけれども。ある時に親先生、私は親先生の真似はとてもなかなかでけんから親先生の事を二ことだけはもう、これはもう絶対真似しよると言われるんです。
どう言う事を真似しよんなさるかと言うと、もう私は床屋に行って絶対眉だけはよせません。私がもう眉をよせない事を知っちゃるわけですね。もうよせよるとなくなってしまうからね、私の眉は。で、そすと一つは選挙ん時に選挙に行きません。今は行きますけど、その当時は門外不出でしたから出ませんでした。ですから選挙に行かんとと眉をそらん事だけを真似しよるちね。
だからやっぱ傾倒しとるからぢゃあるばってん。これぢゃおかげにつながらんと思うですね。ですからこれは絶対、これは間違いないと言う所をですね。言うならば瀬戸美喜雄先生ぢゃないですけども。先生が頂いておられる神様を頂きたいとこう言うておられる。 そこには真似事でもいいとこう言っておられます。そう言う信心がさせて頂きたいと言っておられますようにね。私共がそれを本当にそれをなら絶対の物を真似を真似から始まって、ならそれがいよいよ一心を貫ぬこうとする、その願いがあればふんなら今日のような失敗があっておりましてもです。神様がそこにちょっとこうそれを失敗させまいとする働きを現して下さる事を感じます。
教祖の神様が例えば教祖の神様ぢゃない。なら多くのお道の信奉者がですね。教祖様の又は三代金光様のこれは私共でありますけども、真似事でもいい、そしてこれだけは絶対のものであるところを真似事でもいいと言う様な生き方をさせて頂くお道の教師ばっかりになったら。今日のこのような御理解はなさらなくてもいいと思うです。ところが少し信者が助かってくる、少しは楽になるともうすぐ自分の信心を崩してしまうような教師があるから、それに対する私は教訓であり、御教えであると言うふうに思います。 皆さん真似事からでもよいから、間違いのない絶対なものを言うなら身に付けていく修行を。しかも貫かせてもらうおかげを頂かれたら。そこからおかげのル-ト、御神徳のル-トと言うかね、の道が開けて来ると思うんです。「どうぞ」